ランニングとソウル

Imaike, 2018

6月に入ってから、わりと本格的にランニングをはじめた。この数ヶ月、コロナの影響で家にいることが多くなっていた。ずっと、家にいると、とにかく窮屈な気持ちになって、”ウォー”と雄叫びを上げるオランウータンのように体を動かしたくなる。自分の中の野生がちらっと顔をのぞかせてくる。それに応えなきゃと、思う存分に走ることをはじめてみた。

 

幸いなことに、僕の家の近くに”今池- Imaike”という良い感じの農業用のため池があった。外周1.5km、木々豊か、野鳥いっぱい、芝生ありので、走るにはジャストにうってつけなコースだ。その”今池”を走ることにした。

 

走り始めてみると、最初の10分間くらいは体が重たくて、まあまあのダルさを感じる。だけど、最初の10分が経つと、交互に足を地面につけることで体が揺れる走りのリズムのようなものに気づく。不思議に気持ちよくなってくる。イヤホンから聞こえる音楽の調子、リズミカルな体の動き、流れる周りの風景。それらがミックスされて良い感じの一体感が生まれる。いつもの景色がちょっと違う種類の感じになる。別に薬物なんかはやっていないのだけど、気持ちの良い高揚感が湧いてくる。体を動かすこと、音楽を聴くこと、大昔から営まれてきた人間の基本的な行為。一種の太古感、千年前もたしかこんな気分だったよな、というような感覚になる。大げさにいうと。

 

今日はどうしてランニングがそんな良い感じの気分になるのか少し書き残してみようと思う。

ランニングの時の一体感と高揚感はまず、それは思うに走りながら聴いている時の音楽の種類が割と関わっているんじゃないかと思う。ランニングと音楽のマッチングをあれこれ試しているけど、合わない曲はなぜだか絶望的に気持ちよく走れない。例えば、シュトラウスの「ツァラトゥストラは語りき」のような曲を走りながら聞くと、壮麗すぎて一種の儀式をしている気持ちになってしまうし、aikoの「カブトムシ」なら、情緒的すぎて走ってると気持ちが完璧に”aikoゾーンに入って”しまう。どちらもすごく好きな曲なのに、走る時にはあんまり良い気分にならないのだ。

 

そうやって色々試しながら、今、ソウルミュージックに落ち着いている。ソウルには自然と体が動くようなリズムの曲が多くて、ウェットなムードがほぼなくて、カラッとしてるからか、なぜだか特別に心地よいフィーリングになる。中でもすごくいい!!と感じてヘビロテしてるのはRobert Glasperの「Black Radio」と「Black Radio2」

あと、Brothers Johnsonの「Right on Time」というアルバム。

これらのアルバムの曲は不思議と走るリズムにぴったりとくる。わりとゆっくりなテンポなのに、ドラミングはめっちゃタイトだったり、キーボードとコーラスの天国感とベースのグルーヴの力強さの対比がなんとも良くて、重たい足を軽~くして、体を前に前に進ませてくれる。

 

走っていると、シロサギがひらりと飛んだり、羽虫の一群が金色に光ったり、夕焼けが水面に映る景色なんかを横目にする。流れる景色と共に時間はあっという間にすぎる。汗だくになりながら走り終えて、芝生の上に寝転ぶ。空はいつもより広く見えて、涼しい風が火照った体に当たって気持ちいい。イヤホンを外すと、木々の葉が擦れ合う音、波の音、虫の鳴き声、遠くから聞こえる子供達の遊ぶ声が聞こえてくる。急に現実に戻る。でも、それは走る前のリアリティとはちょっと違っている。まあ、人生楽しんでみるか、というような気持ちを取り戻す。