Essay
屋久島へ
2023.10.19
Posted in フィールドレコーディング

人の自然を呼び起こす
屋久島の自然の音を録音するために先週の4日間、山の中をテント泊しながら過ごした。もののけ姫のモデルとなった白谷雲水峡から出発して、縄文杉、宮之浦岳、花之江河、淀川、紀元杉までの屋久島縦走ルートだ。スタート地点の白谷雲水峡は標高800m 、途中の宮之浦岳は1936m、その高低差によって屋久島は本当に多種多様な植生が見られる。白谷雲水峡では人間の手を加えられる以前の太古の森林を思わせる幻想的な景観が、宮之浦岳では異世界のような高原地帯、そしてそこにはまるで手塚治虫の火の鳥に出てきそうな岩があらわれる。道の合間には南国のジャングルにいるような植物にも出くわす。本島と熱帯の植物がこの島に一堂に介している、自然の玉手箱のような島だ。
神々
また、里から森の奥へと進んでいくと、あちこちに、とてつもなく大きな切り株を発見する。それは人の森への介在の痕跡をまざまざと感じさせるものだった。神のような巨木を切り倒していった人々がいたのだと。訪れる前の屋久島の印象は手つかず太古の森というイメージしかなかったが、実際には、残された原始の自然と人間の痕跡を痛々しく対比的に感じるというところがあった。
そして、時間をかけて森の最奥まで行ったところに縄文杉にドーンと出会う。奥地がゆえに1966年まで人に見つからなかったことで、切り倒されずに現在まで生き残ったのだ。中世以前には日本列島にもきっと、神々の木が身近にあったのではないだろうか。かつての人々はそれをどのように感じて、どんな心的な世界を持っていたのか。屋久島の奥には、ほんの少しだけその世界の一端をみせてくれて、かつての祖先達の共同幻想へ思いを馳せるきっかけをあたえてくれるトリガーのようなものがある。
動き/休む
自然の音を録音するには、僕の場合それなりの大きさの録音機材が必要でテントなどの装備も含めると約27kgの重さになる。そして、山の中での1日はとにかく歩き続けることになる。夜明けの6時ごろに出発して、日没18時ごろまで移動する。ただ、自分でも驚くことなのだが、道中はなんて重いんだ!と、しんどい気持ちになるのだけど、その日の移動を終えると、思いのほか疲労は残らずに次の日もしっかり歩き続けることができる。むしろ体調は良くなり、心は清々しい気持ちになる。
自分の身体がどこまで出来て、どこまで出来ないのか。それを確認することが今回のもう一つの小さな目的でもあった。日頃そこまで運動をしているわけではないので、実際出発する前は大丈夫かなと思えた。だが、歩き終えてみると、目的地を定めて一歩一歩前へ足を動かしていく意思と、上手にタイミングよく休憩をとる判断力さえあれば、どこまでも進んでいける、ということを実感した。
人間というのは他の生物よりも長距離を移動するように体ができているという本を読んでいて(Go Wildという本だったと思う)、まさにその通りだと体で感じた。動き続けることが人の本性なのだ。都市部での生活、部屋の中にこもっている生活(自分の場合はCG制作に没頭している時)、はどれだけ人の身体に適していないのかと歩きながら考えた。
海から陸へ
僕はこの数年、自然音と自然を抽象化したCGをミックスさせた映像と、再生装置を作ってきた。それは、室内の空間にあっても自然を感じられること、オンラインの海から陸にあがるためのアシストをするようなもの、そして英気を養って森へ行きたくなるようなものを作りたいという思いから生まれた。今回の滞在で、約20万年前に生まれた現生人類の身体と精神の設計に根ざしたサービスとモノを、生涯をかけて作っていきたいという思いがより深くなった。
現代の僕たちが生きる生活環境全体を再自然化していく必要があると思うし、経済空間/交戦空間としてのオンラインの海から、きちんと毎日適切なタイミングで休息のためにオフラインの陸に上がる必要もあると思う。 例えば、日中を集中して活動をした後に、森の中のなんとも絶妙な黄色からグリーンの色彩、草木のフラクタル構造の環境に包まれて爽やかにリカバリーすることができたら、その日ベッドの中ではどんな気持ちでいるだろうか。朝靄の空気、木々の香り、小川の気持ち良いホワイトノイズに囲まれていたら、心に、生活に、人の一生に、どれだけの効果を与えられるだろうか。
森へ
弥生時代に入る前までは、穀物の農耕のための平地での営みより、森やその付近での営みが一般的だったそうだ。どんぐりを拾ったり、鹿を捕まえたり、芋も栽培したりしていたそうだ。期間で考えると、弥生時代から現代までの間は弥生時代が紀元前9世紀ごろから始まったから、約2800年間だろうか。そうすると、現生人類発現の約20万年前まで遡ると、それ以前の森での生活は19万7200年ということになる。縄文時代だけでいうと1万年になる。その差をみると、人の心身は森の環境に最適化する設計をされてきているのだろうと思う。だから、森へ入っていくと不思議とオートマチックに元気になる。テントを畳んでいる隣の木の上で木の実を食べているヤクザルとも「よ、相棒!」というようなニュアンスの目配せをしたりする。
宮之浦岳の後半のルートでは、早朝の森の雨の音を録音していた。それは本当に心地よい音で、ヘッドホン越しにかなりの間じっくりと聞き入ってしまった。柔らかいシャワーのような雨粒と草木とのポップコーン的な連続する接触が森全体を包みこんでいるようだった。その広いパースペクティブを伴うフローの最中に、次の営みへの種があることに気づき、日常にもどっても、ひたすらにその種を育てて、森になるまで繋げていく。
去年のある夏の日のこと。抱えていた仕事が一段落し、気持ちを切り替えようと思い、近所の銭湯へ行った。そこで、90°のサウナに入り頭をスッキリさせ、露天風呂に浸かった。なんともゆるりとした気分になっていた。その時にふと、森へ行ってみようという思いが頭をよぎった。そして、昔からよく知っていたのだけど、あまり立ち寄ることがなかった近くの大きな森のことを思い出した。
ロードバイクを走らせ、その森まで行った。自転車を置いて、森の中へ入っていった。20分ほど小道を歩いていくと、そこには、一面に緑の芝生が広がっていた。その上でバタンと仰向けに寝転んだ。風にそよぐ木々の葉っぱの、さらさら、ざわざわとした心地よい音、数種類の野鳥の鳴き声、鈴虫の鳴き声、遠くのカラスの鳴き声が芝生に寝そべる僕の両耳に驚くほど立体的に聞こえてきた。普段あまり気にしていなかったけど、寝転んで芝生に頭を置くことで、視覚は青い空を眼球の隅々まで広がるパースペクティブで感じ、聴覚はドームの真ん中にいるような何も遮るもののない純粋な響きで周りの世界を感知した。なんて、豊かなハーモニーとリズムなんだろうと、自然が世界の秘密を少しだけ打ち明けてくれた様に思えた。
それは都市とその近郊の世界-アスファルトの道路、コンクリートの建物、行き交う自動車、電車、広告、ありとあらゆる人工物に囲まれた世界-では味わうことのできない、さりげなく、親密で、豊かな風味。僕自身の血に流れる太古の昔から受け継がれるホモ・サピエンスの血は、この木々と虫と鳥たちこそ共にあるべきものだと感じさせた。自然は周りの世界、生き物、人と豊かに交流するための意識のスペースを与えくれる。都市の世界は人に目隠しをさせ、同時に存在している世界のスペースの広がりに気づけなくさせている。
サウナの後に近くの森へ行った小さなささやかな体験は、間違いなく僕たちが生きている世界には豊かな土地があるということ、そして、それは人生を味わい深く生きていくために必要な気持ちの余白・スペースを広げてくれるというシンプルな事実に気づかせてくれた。もし、もっと、木々が風に吹かれてサラサラと擦れ合う音が、鳥たちのセッションが、川のせせらぎが、夜に奏でる虫たちのオーケストラが身近で聞こえるようになったとしたら、今生きている世界をもっと好きになることができるのではないか。そう思い立って、自然の豊かな土地へ行き、録音と撮影を始めた。海、川、滝、山、自然の豊かな土地へ出かけて行って、その場にじっと佇んで、ヘッドホンで周りの音を注意深く聴き、コンデンサーマイクで音を拾いレコーダーに取り込む。映像用のカメラで風景を撮影し、じっくり音と風景を掬い上げていった。
録音と撮影をした自然の一部をノイズ溢れる周りの環境に置く。そうすることによって、現代の生活空間の中にあって、今生きている世界のさりげない豊かさにふと気づくきっかけになるのではないかと考えた。その考えは『山紫水明』という作品に具現化されていった。山紫水明は自然の音と映像を再生する装置とディスプレイを広葉樹の一枚板のフレームに埋め込み、限りなく自然に近づけたデジタル作品だ。デジタルであって、決してそれによって振り回されることがなく、もっとも利用すべき特質-自然の時間と空間の流れを再生する-という点を取り込み、真に意味のあるもの、役に立つものとして制作している。それは日常生活の中にあって、しずかな親密なひとときをつくる。
「真の行動は沈黙の瞬間に行われるものだ。われわれの人生を左右するさまざまな時期は、職業を選んだり、結婚したり、就職したりというような目に見える事実で決まるのではなくて、散歩の道すがらにふと路傍で浮かぶ黙想によって決まるのだ。」
19世紀のアメリカの詩人ラルフ・ワルド・エマーソンのこの言葉を数年ずっと心に抱えていた。まさに僕の人生も散歩の道すがらに浮かんだ何らかの想念によって決まっていたからだ。忙しい日常の中で沈黙を作ることはもっとも能動的なことなのではないかと思う。心のかすかな声に耳を傾けることは意外と難しい。それには日常の流れと違う時間と空間のギャップが必要で、『山紫水明』はそれを少しでもアシストできるものだと考えている。現在、制作の最後の段階ですが、これがきっと多くの人の生きることに寄り添って、親密な沈黙を作り出すものになると信じ、制作を続けます。

Boy, 2015
絵を描く
子供はみんな絵を描く。知り合いのお子さんの女の子は一心に赤色の色鉛筆で何か人のようなキャラクターのようなものを描いていた。無心に脇目もふらず、筆運びには迷いがなかった。自分の内面の衝動に従って、画用紙に向かい合っている様子がなにか羨ましく感じられた。
僕も子供のころは夢中になって絵を描いていた。キリンから、ライオンから、太陽からその時感じていたものをそのまま描いていたと思う。小学生になって、なぜか絵を描くことはなくなっていった。その当時はサッカーをしたり、ゲームをしたりに夢中になっていた。サッカーはとても楽しかったし、ゲームはスマブラとかマリオカートとかゼルダの伝説とか面白いゲームがたくさんあって、とにかく絵を描くことはなくなっていった。
きっと、自我が芽生え始めた頃の年齢の子にとって動物や太陽や雲、一つ一つが自分という存在に迫ってくる不思議な存在だ。そこで、絵を描くことで、想像の世界でその対象と遊び、存在を確認し、自分はこういう風に世界を見ているんだ、と宣言しているように思える。まだ何者でもない子供にとってその世界の認識を表す行為を繰り返すことで固有の自分というものをつくっているのだろうか。
内と外
僕は19歳の頃から写真を撮り始めた。その頃から今まで、主に街の写真なんかをとっているのだが、街の中でシャッターを切っていると、不思議な感覚になることがある。自分と街の気配が一体となって、自分の存在が薄くなったように感じて、ある種の忘我の状態になるのだ。写真を撮るという行為も、自分の世界の見え方を宣言していることだとも捉えられると思う。何か自分のアイデンティティーを掴もうとする行為には、外の世界を積極的に確かめようとする行為が必要で、うまく存在を掴めたら、個人の内面と外の世界の境界が薄まって、逆に自分というものが現れてくるように感じる。内と外の境界が薄まり溶けていくことで、初めて自分の中の情感、印象など内側の部分を外の世界にあけわたすことができる。
絵を描いたり、文章を書いたり、人と心からコミュニケーションを取ろうとする時には、何か自分の内面をそのままあけわたさなければ、何も達成されないように思う。子供のころというのはそういった、自分の内面に溢れてくるものを投げ出すことを自然とできる。だから、子供の絵を見る時そこに自己の制約のようなものを感じないし、のびのびと素直な気持ちになる。だけど、大人になって、社会に適応していくうちに色々な考えに縛られていく。お金を稼がなければ生きてはいけないし、そのためには社会的な存在にならなければならない。自分のする行為に色々な思惑が出てくる。その中で、自分というものを確かめる機会は減っていくし、難しくなってくる。
カメラを持つ時、何を撮りたいのか感じる。絵筆を持つ時,何をキャンパスに描こうか、自分の気持ちを感じようとする。文章を書くときも。なんでもいいけど、意識的に自分の気持ちを感じる機会をつくることが生きてく上で必要なことのように思う。そうでなければ、自分という存在は他者が意図する風に無意識にひらひらと流されてしまう。
見逃されてしまうもの
アメリカ・ルネサンスの作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローという人は、暮らしという生きること全般を、自分の手でつかみ取ろうとした。ソローは19世紀当時の経済性・利便性を追求した社会に疑問を持ち、森に行って自分で丸太小屋を建てて二年二ヶ月ほど自給自足で暮らした。
『私が森に行って暮そうと心に決めたのは、暮らしを作るもとの事実と真正面から向き合いたいと心から望んだからでした。生きるのに大切な事実だけに目を向け、死ぬ時に実は本当は生きていなかったと知ることのないように。暮らしが私にもたらすものからしっかり学び取りたかったのです。私は、暮らしとはいえない暮らしを生きたいとは思いません。私は今を生きたいのです。私はあきらめたくはありません。私は深く生き、暮らしの真髄を吸いつくしたいと熱望しました。』 (森の生活 ウォールデン)
森の生活には自然や動物の描写があふれている。ソローのそれらへの観察はとてもきめが細かい。こんな話が書かれている。
ある日、エリマキライチョウという鳥がひなを引き連れてソローの小屋の前までやってくる。エリマキライチョウは人が近づくと母鳥の合図一つで、ひな達はあちこちに散って離ればなれになる。母鳥は人間の注意を引くためにわざと翼をひきづって歩いたり、人間の目の前で狂ったように転げまわったりする。ひな達は木の葉の下に首を突っ込んで平たくなってうずくまり、遠くから送られる母鳥の合図だけを待っている。ソローはひなを手のひらにのせてみるが、ひなは母鳥と本能に従って、恐れもせずふるえもせずに、ただじっとそこにうずくまっている。そして、ひなのおだやかな大人びていながら、あどけない目を見て、あらゆる知性がそこに映し出されていることを感じる。森はこれほどの宝石を他に生み出すことはないと言う。
丁寧な慈しむような観察から一種のインスピレーションを得ている。ソローはこの時、エリマキライチョウの親子と一体化していたのではないかと思う。ソローがひなの目を見たとき、そこにソロー自身をみたのではないか。人は何かをみるとき自分の知覚、心を通してみる。ソローが持っている精神の宝石部分がひなの目によって現れてきたように思う。 知覚して、自己の中に他者の像を映し、そして他者を感じようとする時、そこにはそれだけの余白のようなものが必要だ。ひなの存在はソローの心の余白にすっぽりと写し出された。そこから、ソロー独自の観察が生まれる。獲物をとることに意識がいきすぎている猟師がいたら、そんな風には観察できない。何かその人の先行する意識が、ある存在を自分のための”モノ”としか捉えられないようにしてしまう。そうなると、多くの神秘的なものは見逃されてしまう。
ゆっくり歩く
僕の友人でとてもゆっくり歩く人がいる。彼と街を散策していると、歩くペースを合わせようと自分もかなりゆっくり歩くことになる。今右足が地面に着いた、今左足が上がったと感じられるような歩き方だ。そうして歩いていると、空間の感じ方が変わるのがわかるのだ。景色が広がったように感じ、行き交う人たちの印象が内側に入ってきて、街全体と一体になるような。自他の境界が溶けてなくなるような意識になる。木の葉を見て、沈もうとする太陽を見て、走り出す子どもを見て、自分の内側に情感が溢れ出てくるのを感じる。そんな時、その瞬間を残したいと強く思う。だから、写真を撮っているのかもしれない。ソローが森で暮らそうとしたのは、自分の内に溢れてくる印象に重きを置いたからだと思う。内面の情感から生まれくるものが日常を彩り、人間の世界を豊かにしている。縄文人が縄文土器をつくったのも、ロダンが彫刻をほったことも、ホイットマンが詩をつくったのも、内から発せられる印象に忠実であったからだと思う。彼らは内と外の境界のない部分から溢れた概念で形、音、言葉を生み出した。だから、それらを見る時、個を超えた空間の広がりを感じさせる。その場所にずっといたいと思えてくる。
ゆっくり歩き、見える景色、歩いている感触を確かめたい。歳を重ねてくうちこれはやってはいけないとか、これをしたら空気を壊すんじゃないかとか、色々考えてしまうようになった。子どもがふと思い立ったように突然走り出すあの、内から溢れる気持ちを表す行為。いい大人が突然走り出したら、アブナイ感じだが。それも空気を読む考えかもしれないが。精神的にそんな気持ちを持っていたいなと思う。